2016年6月2日木曜日

「疑う」ことについて

 おはようございます。ここ数日、暑さも少し落ち着き過ごしやすい日が続いていますね!(^^)!

 さて、今回は「疑う」ということについて。私自身、物事の真偽を問う際に鵜呑みにするだけでなく、「疑う」というプロセスはとても大切だと思います。かの有名な哲学者、デカルトも物事を疑いに疑いつくして「物事を疑っている自身の存在は疑うことのできない事実だ(我思うゆえに、我あり)」という真理に到達しました。ちょっとここまで疑いつくすと常人では精神錯乱に陥ってしまうかもしれませんが(*_*)
 
 現代には(きっと昔からですが)、めちゃくちゃ怪しい物がたくさん存在します。たとえば今話題の「水素水」。ある会社は水素水の分子式(水素水の形)を模式的に表していましたが、果たして水の構成元素である酸素にそんなたくさん水素が結合することが可能なのでしょうか?高校化学を習っていれば、「おかしいな?」と疑うことができます。これがよくわからい小さな会社が販売しているならまだしも、某大手の「伊〇園」からも販売されています。販売しながらも、水素水の効果についてはめちゃくちゃ曖昧な回答しかしていません。このように効果がはっきりとしないのに商品として売り出しているのです。
 今回は一例として「水素水」を取り上げましたが、世の中にはまだまだ疑わしいものが蔓延っています。うたい文句にすぐ飛びつくのではなく、一度疑いの目を向けて真偽を確かめることも必要かもしれません。